三本松歴史講演会「道から読む三本松の歴史と魅力」質疑応答

質問:聴講者

応答: 香川大学経済学部教授 西成典久氏

司会:三本松地区活性化協議会会長 狩野直喜

質問

質問が無いようなんで、ちょっと話題が変わるかもわかりませんけど、まちづくりですね、基本的に、「まちづくり」普通一般的な平仮名に書くんですよね。もう一方は田を書いて丁の文字、本当の大内町の町ですよね。それともちろん商店街の行人偏での街ですね、これは先生、どう使い分け・・。先生はたいてい平仮名だと思うんですけど、どんな考え方の違いがあるんですか?

答え

私たちは、まちづくり専門で、どっちかというと過去の話、歴史的なところを見ながら将来を考えるところで、大学の授業で大体そっちしているんですけど、その今のお話で言うと、日本で町づくりという言葉が

出始めるのが、大体1990年代以降ですね。つまり今、広辞苑にも載ってないんです。まちづくりっていう非常に新しい言葉で、つまりそのまちづくりっていう用語のでき方によって、町っていう漢字を田んぼの田書いたりとか、行人偏で使ったり、ひらがなにしたりっていうふうに変わるんですが、まず我々の専門分野的に、基本的には平仮名で「まちづくり」を使おうというふうになっています。平仮名「まちづくり」というのがまず一般的なんですけれども、しかし、例えばですね、行人偏の街っていうのは、どっちかというと商店街まちづくり系で使われている街づくり。田んぼの田の、「町づくり」の方は、例えば江戸時代のまちづくりなんかは割と漢字で、町作りって書いてあったりとか、我々私自身もちょっと江戸時代の頃の町づくりというのは、そういうような言葉であったりとか、平仮名だと、それぞれの使い分けをある程度しているんですけど、しかし社会的には、そこまで細かにはやってなくて、一般的に「まちづくり」といったらひらがなですけれども、商店街系があったりとか、あるいは福祉系だと福祉系のまちづくりであったり、それでその出自によって、分野によって、ちょっと多少感じる使い分けなのかなという、ところかなというふうに考えております。

質問

ソフト面とかハード面とかいう使い分けは、まだ、しないほうが良いんですか。

答え

そういったところもまあ、さしあたり、なくはないんですけれども、やっぱり使い分けしない方が「まちづくり」という言葉の理念に繋がるかなというふうに思いますね。つまり、ソフトもハードと一緒にやって

考えていくというところが現代まちづくりの、ちょっと重要な狙いかなというふうに思います。勝手ながら考えます。

質問

この昔の絵ですけどね、1854年のこの絵、勝覚寺の下側が、これ下側にあるやつは、これは潮が満ちた時の海なんですかね?

答え

これはですね、先ほど街歩きで説明しました。これは単に描いてないだけで、雲のようにしてちょっとぼかしている、別に海が入っていたようなエリアではないと思うんですけど海が入ったであろうエリアはもっと上ですし、1854年の頃にはもう埋め立て済んでいるので、この辺りに海はなかった。

司会

貴重な機会ですので、ぜひ、ご質問等、ございましたら・・あるいはご意見、何でも結構だと思います。ご感想でも・・

質問

西成先生、我が町三本松との、あなたの関係はどうなんですか?

答え

特に無いと言えば無いんですけど。東かがわ市さんと連携させてもらったり、水主の方で町おこしのことをやらせてもらったりとか、そういったところはありますけど、直接何かお仕事依頼的なことはない状況ですね。

司会

先生が示していただいた図なんですけども。あれは私ども三本松防災、防災マップを作っておりまして、それで標高図とか何とかそういうふうなものを皆さんに、ここは津波が押し寄せて来る場所だから逃げてくださいね、というような形でお示しさせていただいて、市が作っているのを参考に我々は使っているわけなんですけれども、しかしその2.5メートル以下、2.5mの津波が来ますので、2.5メートル以下のところは

ここだよ、というふうなのはなかなか、わかりづらかったんですけれども、今回示していただいた図で大体この辺りがそれに当たるのかなというふうに、よく分かりました。防災、そして一番重要な道と我々が逃げる重要な道というふうに思っているのが、先ほど三本松にとって一番重要な道だと「大町三本松港線」という、そこの真ん中の道ですね。これが防災にとっても非常に重要な道だというふうに我々は考えています。ここをどうやって、うまいこと、しっかりさせていくか、というふうなのが一つの課題かなというふうに、液状化も起こりやすいということを言われていまして、その辺りの道をしっかりグループにしていったらいいのか、いうふうなことを考える一つの課題かなと思います。

質問

一番の驚き。

答え

一番の驚きはそうですね。講演会やるってことと、あと街歩きするってことで、依頼を受けて、本当にそんな港町がちょっと面白く紹介できるところがあるかな。っていうところで、初め入っていって、あんまり紹介できないかもしれないから、講演会も30分40分でいいですよ、とか言ってたんですけど、ご覧通り一時間ぐらい話してしまったんですが、まずですね思った以上に深かったっていうところです。非常に語れるところも多かった。その一つがですね。古代の興田寺、水主神社とのつながりが非常に面白かった。つまり、三本松だけで考えられない点があったことと、あと地形的に見ていくと、ここで見られるような、まずこの港周りの付近を歩いていると、この辺りに低い家があった。この辺りが2.5メートルのラインで引くと、やはり海の、海の境である。そこが見えてくると一気に、三本松という町がすごく港に適した町であったということが見えてきた。今は埋め立てているこの辺りが港なんですけど。その、何度も説明しているように、砂浜を利用するという意味で言うと、この港、山と砂浜がたくさんあった。それから自分的には非常に良かったのが、この勝覚寺さんがなぜ東を向いているか、そして海暁山という名前。これらがこの地形ですよね。この舌状の地形と完全に合わさったというところが非常に良かった、良かったというのかな。ちょっと自分としては鳥肌が立つような思いで、歴史の面白さを感じましたよね。だって、そっか歴史というのを、立ってる建物とか道っていうのは真実を表してて、それになんとなくたどり着けたっていうのが、

自分的には一番面白かったなというふうに思います。

質問

資料の中の讃岐の国名勝図会の中にですね、三本松村、この蒲に千石以上の大船数十艘ありと、あるんですが、千石船がこの江戸時代末期に入ってこれるような港は、まだ無かったですよね?この沖に、そういう千石船の帆船が来て、小船で運んだということになるんでしょうか?

答え

ここはちょっと調べなきゃ分からないですけど、私の記憶だと多度津とか丸亀というのは新しく港を作り直すんですね。1800年代後半になって。その頃にはもう岸壁で作っているので、その時に大きい船入ってたんじゃないかなと、多度津港はおそらく千石船が入ってたなというふうに思ってます。そこちょっともしかしたら違う可能性もあるんですけど。そう見るとですね、その三本松港で唯一入れるところはどこかというと、こっちに来る。そこはやっぱりここですね。ここに入れて入ったんじゃないかなと。ここはちょっと深く掘り下げたりとか、岸壁作っていたんじゃないかなと。今コンクリートで壊ってますけど、取ってたら石組みが出てくるんじゃないかなと、いうふうに思っている場所ですね、これはだからそのー

「鉄板があった」

ありましたよね、教えてないというと皆さんの方が知ってるかもしれません。道でありました。この辺りの、今は埋め立てられてますけど、ここに運河が走っていました。泊めるとしたらこの辺りかなと思うんですけど、もしかしたら沖に止めて台船で来てた可能性もありますね。確かに。

質問

今、三本松港の築港の話をしてるわな、今、私は1938年生まれやから85歳、その時に小学校一年生1940年代45の子がこないな敗戦やから、その時に築港では泳いでいたわけや。そしたら今はな、むちゃくちゃ浅い。ってことはすぐ海面が来てるわけや。僕らの頃は、それはなかった。うんと深かった。この前からそう感じたんかもわからないけど、確かに水位は上がってます。それをどういうふうにしたら温暖化だから上がってきとんかもわからないし、そういう話を若い人にしたって、今が当たり前や、みたいな感じでね、話されてるけど、多分今だんだんだんだん海水は上がってきてると思いますよ。もう本当、満ち潮になってきて、大潮になってきたら手が触れるもん。かなりひたひたになってますね。それをどういう風にして、海水なんかを低くするかとかいうような方法はないもんかな。もう私らもう関係ないさかいかまへんのや。

だけど、若い方、これからどんどんな育てていかんのに、土地が無くなってくるがな。もったいないわ。三本松がせっかくもう低いとこや。私、三本松の三本松小学校、三本松中学校、三本松高校、三本松ばっかりついとるさかいな、もう三本松にものすごい愛着感じてるわけや。だから、こういうのはどんどん水が溢れてきて、ここの町が無くなってきたりしたら、大変やなと思ってな。

答え

防ぎ方としてはね、物理的にね、堤防を作って備えるというようなやり方もありますし、温暖化をストップという手もありますけど、そこを考えていかないと水に浸かりやすい場所ではあると思いますので、ただ三本松って海とともに生きてきた場所だというふうに思いますので、一気に防波堤築いて海を見えなくするっていうようなやり方じゃないやり方で考えていく必要があるかなと個人的には思っています。

司会

ありがとうございます。それでは時間が参りましたので、この辺りで終わりにしたいと思います。もう一度、西成先生に盛大な拍手をお願いします。ありがとうございます。三本松のことを、色々と、教えていただければ・・・それでは皆さんお疲れ様でした。ありがとうございました。それでちょっと机と椅子を片付けますので、お手伝いできる方、ちょっとお手伝いをしていただければというふうに、後ろと前の押し入れの中に・・・ありがとうございます。

今日はどうもありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい。