三本松の神社・寺社の由来
   

能代傅吉翁自宅

能代傅吉翁は文政3年4月8日三本松角屋儀助家に生まれ、8才の時、附近回船問屋河内屋傅平の養子となり傅平死後は家業を継続し日本海佐渡経由能代港に入港。当時幕末争乱中で官軍は敵の重囲を受け自滅状態の際、官軍隊長桂太郎の依頼で軍事物資の輸送に協力した。その功により政府兵部省より明治12年12月金200両と褒状及び終身五人扶の恩典をうけた。傅吉は姓を縁故のある能代に改め明治17年5月10日三本松自宅で68才死没。