三本松の神社・寺社の由来
   

道八焼 窯場跡

松平九代藩主頼怒公文政4年(1818年)今から161年前三本松在住 名家堤治兵衛(細川掃部頭直々子孫)を呼び三本松で陶業開設に協力を求められ、協議の上、京都清水坂仁阿弥道八を招き窯場を現在の三本松高校東方地点に建設した。精巧優美な作品を造り(讃窯道八と銘記)世評日増しに高まり声価遠近に伝わる。当時薄い茶碗が1ヶ5両したという。(その領収書が現在も残っている)窯跡は明治18年に壊されたと伝えられている。