過分なご紹介でありました。西成と申します。
今日ですね、この始まりがすみません。
ちょっと遅くなってしまって、今ご紹介があったように、先ほどまでずっと三本松をトランジットモール的に歩いてきました。
非常に話が盛り上がりまして、ちょっとすいません。帰るのが遅くなってしまったんですけれども、三本松、今回ですね、企画ということで、どうやって保井コノさんが、どうしてこの三本松で生み出されたのかというあたりから謎解きを始めていきました。。
私自身も、保井コノさんが今回初めて、こういった機会をいただいて調べていくと、一つですね、なぜ三本松で保井コノさんが生み出されたのか、というところでいくとやっぱり、それは三本松に非常に繁栄した港町があったというところです。
そこで町歩きのテーマとしては、どうして三本松が港町として発展したのか、というところをテーマに、
ぐるぐると歩きながら解説をしていった次第です。
今日ここでご紹介するのも、なぜ三本松は港町として発展していったのかというあたりを切り口に、三本松の歴史をちょっと紹介していきたいなというふうに思います。
ちなみにですね、私自身は今は高松在住で、おそらくですね、おそらく地元の方は、地元のことは、地元の方の方が詳しいので、私も「道から読む三本松」ってこういうふうに読めるんですけど、皆さんはこの例えば地名のこととか当地の名前とか、どんなふうに呼んでますか、とかちょっと聞くかもしれないので、
ぜひちょっと皆さんにいろいろ回答しながら進めていければというふうに思います。